TANDENメソッドとココロのバランスボード
一時期サボっていたTANDENメソッド(あ、日常生活では実践していました)をまた再開している。
ココロのバランスボードの上に座って行うようにしているのですが、座ってしばらくすると上半身(特に肩)の力が抜けるのがわかる。
力が抜けると書いたが、抜ける前には力が入っていたわけで、これまでは肩に力が入っていることに気づいていなかった。ということになる。
ココロのバランスボードは脱力や姿勢の良さを強制(矯正?)するものではなく、気づきを促すツールなのかな。
ココロのバランスボードの上に座っているときの安定感、安心感が心地よい。
なんとも不思議でわけがわからないけれど、それがまた良い。
変化とめんどくささと勇気と。
変化ってめんどくさい。
新しいことをするのって勇気がいる。
安定した日常。
毎日同じ電車に乗って毎日同じ人達と顔を合わせ、同じような店で食事を取り、同じように過ごして寝る。
安定した日々を過ごすことも尊い。
でも、変化を求める気持ちもある。
僕は飽きっぽいので同じことを続けるとストレスが溜まってしまうのですが、安定が安心でそれを目的として過ごしている方も多いかと思います。
僕が人間の能力でスゴいと思うのは、「適応力」です。筋肉は使えば増強し、使わなければ痩せ衰える。
環境に対してもその能力はいかんなく発揮され、安定に適応していると変化に対してめんどくささと恐怖を覚えるようになります。
では、今の生活パターンを変えるにはどうしたらいいか。
行動していくしかないのですが、それがめんどくさいし怖いんですよね。
それはそうです。だって変化するということに適応していないのですから。
つまり、変化に慣れていないのです。
堀江貴文さんが、「朝にアイスを食べてみろ」と言っていましたが、まさにこういうことです。
僕はこのアドバイスに従い、朝食にカップラーメンを食べてみました。
もたれました。
でも、一つこれまでと違ったことをしてやった。というニヤッとするような感覚がありました。
現状と違う〜をしたい!
という想いがあったとしても、いきなり大きな変化は怖いです。
当たり前です。
少しの変化を毎日意識して実行することで、変化への適応力がついていくのではないでしょうか。
色々と自分の身体で人体実験していくと面白いですよ。
それはまるで夢の中にいたような。
久しぶりにブログアプリを開いてみて驚いた。
なんと約半年ぶり。
なぜすっかり放置していたブログを再開する気になったのか。
それは、小出はるこさんと個人面談してきたからです。
突然、「はるこさんとお話ししたい!」という衝動にかられて急遽お願いして実現しました。
急なお願いにも関わらず対応して下さったはるこさんにはほんとうに感謝です。
僕が対話したかった一番大きなテーマは、「寂しさ」について。
内容は内緒とさせていただきますが、とてもスッキリしました。
その後も様々なことをお話しさせてもらい、多くのことが再確認できました。
はるこさんのドッシリ感。すさまじいです。(笑)
接している時の安心感は、はるこさんご自身が実践者であり体現者だからなんだろうなぁ。
ご一緒させてもらった時間を思い返すと、夢の中にいたような感覚です。でも、しっかりと残ったものがある。
おかげさまでこれからの方向性がハッキリしました。
人生、安心して楽しんでいっちゃいます。
ブログも書きたいことを書きたい時に更新していきたいと思います。
流れ流れていくのだ
前回のブログで息を吐ききる感覚について書きました。
その後、実生活で感じている変化の一つとしてお金の支払い方があります。
お金の支払い方が豪快になったとか、散財しまくってやるぜ!うひょー!
というわかりやすい変化ではなく、気持ちの上で変わった感覚があります。
これまでは支払いの時に、
「私の元を去っていくのね、寂しい…」
的な引っ掛かりがあったのですが、
最近は
「いってらっしゃ〜い。達者でな〜。ありがとよぉ〜。」
的な感じになってます。
自分の手元にあるお金が、自分のものだ。所有物だ。という感覚がなくなった気がします。
たまたま自分の前を流れている。というか。
でもこれ、お金に限らずなんですよね。
モノもそうだし、他人とのご縁もそう、その時々の自分もそう。
変化し続けるのが当たり前で、自分のものなんかないんだなぁ。と。
そう思えたら、一気に肩の力がストーンと抜けて、ワクワクしてきました。
TANDENさんも、はしゃいでいます 笑
そして、どうせ流れてるんだからテキトーで良いや。ではなく、丁寧に向き合いたいな。
そんな気持ちになってます。
呼気とともに委ねる
息を吐ききるのって怖くないですか?
僕は泳いでる時も息継ぎを頻繁にしていたし、瞑想の時も息を吐ききるということに苦手意識があり、身体が少し硬くなることを感じていました。
正直気持ちよくない…
その怖さが、今朝の瞑想でスコーンと抜けてしまいました。
体感としては最初は硬さを感じていたのですが、丹田から広がりを感じて自分の身体が包み込まれて溶け合って、心地良いなぁーと感じていたら、息を吐くことへの恐怖が消えていたのです。
呼気とともに大きなものに委ねているような。
「あ、委ねきっていいんだ。ぶん投げちゃっていいんだ(言い方悪い 笑)」
委ねきった先は、こんなに広くて深くて、安心出来る場所なんだ。と。
呼気=委ねる=安心感に気づくこと。
なのかな。
「放てば手に満てり」ってこういう感じなのかな。(おこがましい…)
放つと代わりに良いものが入ってくるわけではなくて、拡げた掌はすでに満たされてるんですよね。
世界って優しい。
ふっと浮かぶから油断ならない 笑
リアル遥子の部屋で感じていたことをふっと思い出した。
Aダイアローグが終わった後に遥子さんが、
「他人が話していることも、自分が話しているのと同じ」
という話をされていた。
これまで、肚から浮かんでくる言葉は、結局その個人の経験(知識も含む)からのものでしかないのではないか。
そのような疑問があったのだけれど、この話を聞いた時にパーっと開けた感じがした。
ただ一つのものが、その人というフィルターを通して出てきているだけなんだ。
なんか嬉しくなった。
ご縁に感謝
今日はリアル遥子の部屋にお邪魔してきました。
生ラジオ瞑想?あれ?日本語変だぞ?笑
に始まり、Aダイアローグ、お話会(飲み会?笑)と盛り沢山。
でも、時間が経つのはあっという間で、楽しい心地よい時間をいただきました。
僕が特に楽しかったのが、ダイアローグ。
なぜなら、こういう対話の場って日常にありそうでないから。
答えを出さないでいい、正解を求められないし、正解かを気にすることもない。というか正解なんかない。
ただお腹から湧き上がってくる言葉を口にする。
お腹から湧き上がってきた言葉を聞く。
なんて心地良いんだ。たまらん。
参加した方もおっしゃっていたけど、これまで何の接点もなかった人達が、同じ時に同じ場所に集まる不思議。
縁というのはほんとうに面白い。
参加者の皆さん、場を作ってくれた遥子さんとのご縁に感謝です。
遥子さんの在り方は今日も素敵でした。
開ききってる(言い過ぎ?笑)態度が皆をオープンに導いてくれたのだと思います。
いや〜、楽しかった!